1992年と1993年の安田記念を連覇し、1993年の天皇賞(秋)を勝ったヤマニンゼファーが、16日朝に老衰で亡くなったそうです。

 

29歳なので、天寿を全うしたといって良いかも知れません。

 

ヤマニンゼファーといえば、意外性のある馬でした。

 

最初のG1勝利を収めた1992年の安田記念は11人気での勝利ですし、1993年の天皇賞(秋)は5人気での勝利でした。

 

現役時代は20戦して8勝の成績。

 

デビューしたのも、馬齢変更前のことですが、4歳の3月ですから、遅かったといえます。

 

最初はダートを中心に使われていましたから、脚元の不安があったのでしょうね。

 

そのヤマニンゼファーが、最終的にはG1を3勝しているわけですから、競馬は分からないものです。

 

今回は、老衰で亡くなったヤマニンゼファーを振り返りたいと思います。

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ヤマニンゼファーの戦歴

http://jra-van.jp/から引用

 

ヤマニンゼファーは、1988年5月27日に北海道の錦岡牧場で誕生しました。

 

父親はマイルチャンピオンシップを連覇、そして1985年の安田記念を勝った短距離で無類の強さを誇ったニホンピロウイナー。

 

母親はヤマニンポリシーで、母親の父はブラッシンググルームというスピード血統でした。

 

調教師は栗田博憲氏で、馬主は「ヤマニン」で知られる土井宏二氏から土井肇氏。

 

デビューが4歳の3月と遅れたのは、骨膜炎が原因のようです。

 

通称ソエと呼ばれる管骨骨膜炎は、骨が完全に化骨していない若馬に急激な強い調教を行なったり、硬い走路で調教を行なうなどすると発症するそうですが、今から30年ぐらい前のことなので、よく分かりませんね。

 

でも、デビューが4歳の3月にずれこんだヤマニンゼファーは中山ダート1200mの新馬戦と500万下の条件戦を連勝しているわけですから、素質はあったと思います。

 

新馬戦の時の人気なんて12人気ですから、全く人気がなかったわけです。

 

それが、2戦目で1人気に支持された1人気の馬に2馬身の差をつけて勝っているわけですから大したものだと思います。

 

新馬戦と500万下の条件戦を連勝したヤマニンゼファーは、クリスタルカップという芝の重賞に挑戦し3着になっています。

 

初めての芝の重賞で3着になるということは、芝への適正もあったのでしょうね。

 

そのクリスタルカップ3着以降は、再びダート路線になっています。

 

脚元に不安のあるヤマニンゼファーにとっては、良い選択だったのでしょう。

 

でも、900万下のダートの条件戦を2戦し、900万下条件を勝ち上がった後に、いきなり芝のG1のスプリンターズステークスに挑戦させているところをみると、関係者もヤマニンゼファーに期待をかけていたのかも知れません。

 

スプリンターズステークスで7着に敗れたヤマニンゼファーは、年が明けて1500万下条件のダート競争であるサンライズステークスに出走し2着、そして同じく1500万下条件のダート競争である羅生門ステークスで1着となり、オープン入りしています。

 

続く芝の重賞である京王杯スプリングカップで3着に入ると、ヤマニンゼファーは2回目のG1挑戦の安田記念で、11人気の低評価ながら1着を勝ち取ってしまいます。

 

この時のヤマニンゼファーの鞍上は田中勝春騎手。

 

田中勝春騎手にとっても初のG1勝利をもたらしてくれたのが、ヤマニンゼファーでした。

 

ヤマニンゼファーのG1初勝利の動画はこちら

 

安田記念を勝利したヤマニンゼファーでしたが、その後2着はあるものの、中々1着になることはできませんでした。

 

ようやく、勝利を掴むことができたのは、1993年に行われた京王杯スプリングカップです。

 

実に安田記念を勝ってから1年近く勝つことができずにいたことになります。

 

京王杯スプリングカップで勝利の美酒を飲むことができたヤマニンゼファーは、次戦の安田記念で連覇を達成。

 

この時の安田記念も、ヤマニンゼファー自身は2人気でしたが、2着に入ったのは14人気の7歳牝馬イクノディクタスで、馬連は68,970円も付いています。

 

ヤマニンゼファーの安田記念連覇の動画はこちら

 

安田記念連覇後は、毎日王冠6着をはさんで、天皇賞(秋)に出走し、セキテイリュウオーをハナ差抑えてG1をゲットしています。

 

ヤマニンゼファーの天皇賞(秋)制覇の動画はこちら

 

天皇賞で3つ目のG1タイトルを手にしたヤマニンゼファーは、1993年12月に行われたスプリンターズステークスを2着した後に現役を引退し種牡馬になりました。

ヤマニンゼファーの産駒

G1タイトルを3つ獲得したヤマニンゼファーでしたが、産駒は大物を出すことができませんでした。

 

1998年の武蔵野ステークスを勝ったサンフォードシチーが産駒の代表馬といっていいぐらいです。

 

サンフォードシチーは第1回ジャパンカップダートで2着した後に、馬事公苑で乗馬となり、高崎競馬場を舞台としたNHKの連続テレビ小説「ファイト」でレギュラー出演したこともあるようです。

 

2009年には、ヤマニンゼファーは種牡馬を引退し、功労馬として錦岡牧場で余生を送っていたそうです。

ヤマニンゼファーはそよ風?

JRAポスターにヒーロー列伝というのがあり、ハイセイコーからキタサンブラックまで81種類が作られています。

 

ヤマニンゼファーは37番目にあり、1995年に制作されています。

 

出典 JRA

ヤマニンゼファーのキャッチコピーは、「そよ風というには強烈すぎた」。

 

ヤマニンゼファーのゼファーはそよ風という意味もあって、このコピーが付けられたようです。

 

そういえば、ゼファーというバイクもありましたね。

 

ただし、ゼファーはギリシア神話に登場する西風神の意味もあります。

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最後に

昔、活躍した馬が死去すると懐かしい思い出が蘇ります。

 

あれから、ヤマニンゼファーが活躍した時から、25年近くの月日が経っていることになります。

 

ヤマニンゼファーの現役時代を知っている方は、あのハナ差の天皇賞を覚えていることでしょう。

 

ヤマニンゼファーにはお疲れ様でしたという言葉を贈りたいと思います。

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